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沿革

伊奈利社ご鎮座説話

稲荷大神のご鎮座に関する最も古い記録とされているのは、『山城国風土記逸文伊奈利社条』です。これにはまだ和銅4年(711)云々というご鎮座年代は出てきていません。しかし「秦中家忌寸《はたのなかつえ いみき》等遠祖伊呂巨(具)秦公」の時代に、彼が「積二稲梁一有二冨祐一」であったところから「用レ餅為レ的」したところ、それが「白鳥」と化して山の峰に飛んでゆき、「生レ子」んだ或いは稲が生じたので、その奇瑞によって「遂為レ社」した、そして「其苗裔悔二先過一而抜二社之木一殖レ家祷レ命也」とあり、「為レ社」した者が「伊呂巨(具)秦公」であったことが明記されています。この伊呂巨(具)について、「稲荷社神主家大西(秦)氏系図」によると、「秦公、賀茂建角身命二十四世賀茂県主、久治良ノ末子和銅4年2月壬午、稲荷明神鎮座ノ時禰宜トナル、天平神護元年8月8日卒」と記され、先にも述べた通り賀茂県主の子孫と称されています。

ここに和銅4年という年代が出てくるのですが、この年にご鎮座になった由縁として、この頃全国的に季候不順で五穀の稔りの悪い年が続いたので、勅使を名山大川に遣わされて祈請させられたときに神のご教示があり、山背国の稲荷山に大神を祀られたところ、五穀大いに稔り国は富み栄えた、この祭祀された日こそが和銅4年の2月初午であった、との伝承があります。これは全くそのとおりだと言えない面もありますが、唐突にこの日が伝承されたのではなく、やはり同氏族の間に何らかの明記すべき由縁があったものと推測されるのですが、それがどのような事象であったのか今のところはわかっていません。しかし強いて言えば、一族の族長、すなわち祭政を一人で行うあり方の中から、大神の祭祀を専門にする職掌(先に見た系図で「稲荷明神御鎮座ノ時禰宜トナル」と記されているのがこれに当たる)が確立した時期であると考えてもよいのではないでしょうか。

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